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Cool-B 2012年7月号掲載 『一つ傘の下』


「……JJッ……!」

僕がJJを見つけたのは東京湾の見渡せる埠頭の外れだった。
ここ最近、雨模様の天気が続いている。
その日も、昼下がりにも関わらず東京湾近辺にそびえるビル群が暗く霞んで見えた。
JJは傘も差さずに、目の前に広がる海を見つめていた。
ずぶ濡れのその姿を見つけた僕は心底安堵したが、その霞がかった光景に新たな不安を覚えた。まるでJJまでもが、
霞となって僕の前から消えてしまうのではないか……
その不安を振り払うように、僕はJJに駆け寄った。
差している傘と抱えた花束が煩わしい。
時間をかけて選んだ花束だったが、今はその花弁がいくら舞い散っても気にならなかった。

「……マスター……?」

僕の気配に気づいたJJはその目を丸くしている。
私服姿の僕に見慣れていないのか、息を切らしている僕が珍しいのか、
僕がここに来るなんて考えていなかったのか、または、その全てが当てはまるのかもしれない。

「……どうしてここに?」

僕は彼の問いに答える代わりに、自分の差している傘を彼の上に差した。
JJの髪先は肌に張りつき、その先からは雫が顔を伝い落ちている。
僕とJJを雨から守るこの傘が、まるで僕たち以外の外の世界を遮断しているような感覚だった。

…………………………

……ドラゴンヘッドから梓君を救出した僕とJJは最後の一線を越え、今は行動を共にしていた。
ドラゴンヘッドの報復を怖れ、警戒しながらも僕はバーを再開していたし、JJも僕の側で多くの時間を過ごすようになっていた。
まるで、無愛想な野良猫をやっとの思いで手なづけたかのような思いで、僕は毎日を大切にしていた……

あれはその日の朝だった。

「JJ、出かけるなら傘を持っていきなさい」
「……傘は面倒だ」
「そう言ってずぶ濡れで帰ってくるのは、一体誰です?」

いつものように、僕の言葉に従わずに店を出て行こうとするJJ。

「確か、今日マスターは知り合いと会うんだったな」
「ええ、今日は、僕の学生時代からの友人の誕生日なんですよ」
「そんなに長い間……よく、アンタと付き合っていられるな……」
「ええ、君に紹介してあげたいくらい、温和で人柄の良い人物ですよ」
「ふん……なあ、マスター」

店の扉を開きかけて、JJが立ち止まった。

「どうしました、JJ?」
「アンタは、あとどれくらいの秘密を俺に隠してるんだ?」
「……嫌だなぁ、JJ。僕は君に隠すような秘密なんて、もう持ってませんよ」
「……そうか。…………用事が済んだら店に戻る」

僕にはぐらかされたことに腹を立てたのか、JJは少し乱暴に店を出て行った。
しかし、それから一間も置かず、再び店の扉が開かれる。
JJが忘れ物をした可能性は、響く複数の足音ですぐに消えた。
この新装オープンしたエピローグ・バーを営業時間外に訪ねてくる人間には、大体の予想がつく。

「どうも、マスター。ご無沙汰しています」
「ったくよォ! いきなり降ってきやがって……」

そこにはキングシーザー幹部の石松陣、パオロ・ピアノの姿があった。

「お久しぶりですね。…………お二人とも、まずはその濡れた頭を拭いてください」

僕は雨に降られた二人にタオルを手渡した。

「それじゃあ、確かに伝えたぜ!」
「ボスもあなたの事を気にかけていました。くれぐれも気をつけてください。
あと、このタオル、クリーニングに出してからお返ししますね。梅雨時の雑菌は侮れませんし……」
「はあ!? ちょっと頭拭いただけじゃねえかよ!」
「いや、だって石松の頭を拭いたんだよ?」
「だから何だってんだよ」

騒がしい二人を見送った後、僕はため息をついた。

“ここ最近、キングシーザーと繋がりを持つ情報屋が次々と殺されている”

僕も、バーテンダーという表の顔を持ちつつ、裏では殺し屋と依頼人の仲介や斡旋をしているから、
標的として狙われても、おかしくはない。

「……どうしましょうかねェ……」

キングシーザーから忠告を受けるのは今回が初めてではない。
“情報屋”や“仲介人”として動いている人間を狙う事件は、以前から何度も発生していた。

“ショウを狙うなんて、そんな無謀なことがよくできるなあ”

昔、店に遊びに来た瑠夏が、笑いながらそんな事を言っていたのを思い出す。
……そう、その頃の自分は一人だったから、全てが自分の手の届く範囲にあった。しかし、今は――

「……JJには……要らぬ心配をかけたくありませんね……」

狙われる可能性があるのは僕だ。JJではない。
ならば今回の件は僕の胸の内に留め、そして、速やかに済ませるべきだろう。

「JJにバレたら、怒られてしまいそうですが……」

今回の忠告を耳にしたら、きっとJJは即座にベレッタの装填チェックを行い、飛び出していくだろう。

「僕も、年甲斐もなくわがままな人間ですね」

“JJのため”という気遣いの下で、彼を危険から遠ざけているのに安堵している自分がいる。
人のために作るカクテルが、自分自身のためへとすり替わったのは一体いつからだっただろうか。

「……そろそろ出かける準備をしなくては……」

JJはまだ店に帰ってこなかった。
しかし、JJには、今日の僕の予定を伝えてあり、こうして店を閉めて外に出てきても何の問題もないはずだ。
それなのに――

「おや、また降ってきましたね……」

鉛色の重苦しい空から降ってきた雨に、僕は傘を開いた。
腕に抱える友人への花束は、先ほど店で受け取ったばかりのものだ。
しかし、その華やかな彩りも、芳しい香りも、僕の心を晴らせない。

(JJ…………)

僕はJJを誰よりもよく知っている。その生い立ちも、性格も、好きなものも、苦手なものも。
不器用なりに“気遣い”ができる……そう、できすぎてしまうことも。
僕は立ち止まった。
友人との約束を破ってしまうのは忍びない。
しかし、それ以上に失いたくないものがある。
少しでも時間が惜しい。僕は格好もそのままに、石松とパオロからの情報にあった、犯人の拠点がある埠頭へと急いだ。

…………………………

「マスター……よくこの場所が分かったな……」
「君こそ……どうしてこんな場所に……」

僕の傘の下にいるJJの身体からは未だに殺し屋特有の殺気が溢れていた。
それは、JJや僕のように命のやり取りをする者には慣れ親しんだ感覚。
僕が自分の中で思い悩んでいる間に、JJは銃の引き金を引いたのだ。

「……JJ、君が出かけた時――」
「店から出てきたキングシーザーの石松とパオロを問いつめた」

僕の言葉をJJが遮る。

「キングシーザー寄りの情報屋が狙われていたらしいな。
犯人はドラゴンヘッドの下っ端……俺もここで始末をつけたが、さっき、残りも石松たちが片付けたそうだ」
「……どうして、僕に何も言ってくれなかったんですか」
「それはマスター、アンタも同じだろう」
「分かっています、でも……」

自分でも矛盾しているのは分かっていた。僕も忠告をJJに話すつもりはなかったのだから。

「君の力量はよく知っている。でも、君の勝手な行動を、僕は喜べません」

自分の一時の感情に流されてJJを責めたくはない。僕は自分にそれを言い聞かせて、JJを見つめ返す。

「……それに、彼らの狙いは君ではなかった。そこへ自分から――」
「マスター……アンタ、うるさく俺に言ってるよな、“雨が降りそうだ、出かけるなら傘を持っていけ”って」
「……ええ」

僕の言葉を遮ったJJの表情には憤りが見えた。
JJ自身も僕に伝える言葉を必死に考えているようだ。

「俺は雨に濡れても気にしない。
俺みたいなヤツは一人が性に合ってるから、どれだけ自分がずぶ濡れになろうが、全く気にならない。だけどな――」

JJの自分の腕を握りこむ力が強まった。

「もし、それが俺じゃなくてマスターだったら……俺は嫌だ、耐えられない……」
「……JJ……」
「……どうしてアンタは一人で雨に打たれようとする……?」

JJが、傘を持つ僕の腕を掴む。

「俺は……アンタの傘の下で生きるために……アンタについて来たんじゃない……」

JJの言葉、JJの表情、そしてJJの掴んでいる僕の腕。
その全てから、僕から離れまいとするJJの必死さがあふれ出ていた。

「俺だって……マスターを守りたい……」

こんなに簡単で、そして、こんなに僕の心を揺さぶるJJからの頼み事は今までなかった。
かつて僕は“自分の後継者となって店を継いでほしい”とJJに言った。
しかし、今は違う。後継者ではなく、僕自身のパートナーとして彼にそばにいてほしい。離したくない。
そんな思いが込み上げてくる。

「……まったく……今回は君に一つ借りができましたね……JJ……」

僕はJJに動揺を悟られないよう、敢えてからかう口調を装った。

「マスター! 俺は――」
「君と僕はいつだって対等です。
ただ、僕も物忘れを起こして、君のように一人で突っ走っちゃう事があるかもしれません。
だから、その時は……JJ、君が僕を止めて……そして、優しく叱ってくださいね」
「……ああ、厳しく叱ってやるよ」

憎まれ口を叩きながらも、JJの表情が安堵で包まれる。

「……やれやれ、こんなにずぶ濡れになって……」
「しつこいな……傘は面倒なんだ。でも……友人の約束は大丈夫だったのか?」
「ちゃんと謝れば分かってくれます。……それに、約束破りで壊れてしまうような付き合いではありませんよ」
「…………そうか」
「妬いちゃいましたか?」
「そんなんじゃない! ……でも、俺をここまで探しに来てくれたことには……礼を言う」

そう言い終わらないうちに、JJは僕に顔を寄せてきた。
両手の塞がっている僕にJJが仕掛けたキスは、とても丁寧なものだった。
そっと僕の唇に自分のそれを押し当ててきたJJは、そのまま撫で上げるように僕の上唇、下唇に唇で触れる。
その仕草はまるで愛情を求めて甘えてくる子猫のようだ。
そんな、自分の全てを捧げて僕に甘えてくれるJJが嬉しい……
目の前の僕を全身で求めてくれるJJが愛しくてたまらない……
首筋にキスをしてきたJJは、僕の腰に腕を回し、自分の腰を押し付けてきた。

「……JJ……屋外なのにずいぶんと大胆――」
「少し黙ってろッ……」

僕の言葉はJJのキスによって奪われる。
次にJJが仕掛けてきたキスは、僕の舌を絡め取ろうとするような獰猛なものだった。
いつもの仕返しだろうか、まるで僕を根こそぎ奪い尽くしてやるとでもいうような仕草に、僕もつられて息が乱れていく。
いつもは僕がJJを奪い、翻弄しているのに、これでは立場が逆ではないか。
そう思いつつも、僕は同時に思ってしまった。
僕がJJに与えるように、僕も対等であるJJから与えられたい。JJの望むままに、身をゆだねてみたい、と。

「……ッ……はあ……ッ……」
「…………んッ…………」

キスに合わせ、僕に触れるJJの手にも力が入り、更にJJは自分の身体を押し付けてくる。
衣服越しでも、僕の太ももに押し付けられたJJの雄が熱情を帯びているのが十分に感じ取れる。
しかし、JJは自分の熱を抑えてでも、僕への愛撫を止めようとしない。
そのいじらしさに、僕も自分の昂りをだんだん抑えられなくなってきた。
いつの間にかJJの手によって乱された僕のシャツの襟元には軽くシワができていたが、
それすら嬉しいと思ってしまうのだから、どうやら、既に僕も相当、JJに翻弄されているようだ。
その証拠に、雨で冷えているはずの外気は全く僕の火照った身体を抑えてはくれないし、
何よりも、僕も自分の雄が十分に熱を帯び、更に上の刺激と熱情を強く求めている。

「…………くッ…………ッ……」

JJになら、僕の全てを明け渡してもいい……いや、明け渡したい……
僕が、そう思って花束を持つ手の力を緩めかけた時、不意にJJの熱が急速に僕から離れていった。

「…………JJ、年寄りに生殺しは辛いものがありますよ……」
「うるさいッ……ちゃんと傘を持ってくれ、雨に濡れる!」
「君、既にびしょ濡れじゃないですか? 頭の上も、下も……」
「…………このエロ親父がッ……」
「ふふ……続きは帰ってからのお楽しみにしましょうか……
君から仕掛けてきたんですから、ちゃんと責任は取ってもらいますからね?」
「……言ってろ……」

余程照れくさかったのか、JJは僕と顔を合わせようとしない。しかし、それは僕にとっても幸いだった。
僕も突然のJJからの行動に、動揺を隠し切れなかった。きっと今、僕の顔はらしくなく紅潮しているだろう。

(こんなに、僕を振り回して揺り動かすことができるのは、君だけですよ、JJ……)

いつの間にか雨は止み、雲の切れ間からはうっすらと青空が覗いていた。


Fin